鍾乳洞殺人事件に関する疑問点と矛盾点

鍾乳洞殺人事件は横溝正史が雑誌「探偵小説」の編集長だった時代に川端梧郎名義で翻訳した作品で、翻訳者の代表作でもある「八つ墓村」に影響を与えた。
美しく絢爛に輝く鍾乳洞という美観とは裏腹に、光が届かない鍾乳洞での殺人という猟奇性と怪奇性、探偵役のアシ博士の飄々とした人物描写をはじめとするユーモア等、不釣り合いに見えながらも幾多の要素を違和感なくまとめ上げる手腕は見事であり、同時期に翻訳・掲載がなされていたクイーンの「オランダ靴の謎」とはまた違った面白味がある。

横溝正史は本作を本格探偵小説と銘打って紹介しているが、プロットがエンターテイメントとして優れている一方、理論の規律に関してはいまひとつで、謎や理論をスリラーでごまかしている場面がないわけでもない。
これらを演出の犠牲として好意的にみることは安易であり、これをもって本作の評価を低くたらしめるような読者は存在しないだろう。
しかしながら、些細な事実の辻褄を合わせてみるのがミステリーであり、理論に穴を求めるべく日夜奮闘している読者もいることも確かである。
つつけない穴を見つけたらつついてみるのが推理小説好きというものである。

本作は、横溝正史翻訳コレクション(桑扶社文庫)に二輪馬車の謎(ファーガス・フューム)と共に収録されているため、現在でも十分入手は可能である。
1935年に単行本として出版されているが、コレクション目的でない限り本書を読んだ方がいいだろう。
巻末には杉江松恋による解説が掲載されており、翻訳家としての横溝正史の横顔やウィップルやフュームに関する貴重な資料も読むことができる。

しかし、この解説で一つ気になる部分がある。
ウィップルが「The Killings of Carter Cave」を執筆・出版(?)したのが1934年とされているが、本作が横溝正史により「探偵小説」に翻訳・掲載されたのが1932年となっており、時系列に矛盾がある。
さすがの横溝正史も、まだ書かれてもいない作品を翻訳することはできないだろう。
また、横溝正史翻リストの大正14年の下部に「黒白書房 鍾乳洞殺人事件」と書かれており、これもまたおかしな表記となっている。
それとも私の見間違いだろうか。

血まみれのハンカチ

カーターが殺された後、アシ博士はカーチスと共に鍾乳洞内部を探索するが、どの通路かは不明だが血の付いたハンカチを拾う。
第二の犠牲者であるクラリンが殺される以前のことであり、ハンカチの血はカーターのものか、もしくはそれ以前についたもの(事件とは無関係)であると推測される。
事件に無関係の証拠を登場させる目的がないため、カーターの血痕であると思われるが、結局最後までこの証拠品への言及はない。
ハンカチにはイニシャルが刺繍されており、それに該当するのはクラリンとカロルだが、のちに同じ刺繍を施したハンカチがクラリンの部屋から見つかっているため、おそらくクラリンのものである。
しかし、クラリンの部屋にあったとはいえ、犯人が残していったというアシ博士の説明があるため、確実ではない可能性もある。

二種類の手紙

アシ博士はクラリンのハンカチと共に手紙を拾っている。
この手紙には、カーターがクラリンへ宛てたものと、クラリンがカーターに宛てたものの二種類があり、のちにクラリンがリュウに頼んで鍾乳洞内部で落とした手紙を探させていたことがわかる。
その際、メルトンが「リュウが拾った手紙は1通のみ」と証言しており、アシ博士が拾った手紙を合計すると、クラリンが所持していた手紙(カーターからクラリンへの手紙)は最低でも2通あったということになる。
ここで以下の疑問がある。

クラリンが二通以上の手紙を鍾乳洞内へと所持した理由

カーターの家ではすでに部屋の割り振りは行われていたのだから、不要な所持品は部屋で保管しておくことができた。
また、複数の手紙を所持する場合、別々の場所に保管(左右のポケットや小物入れ等)するのではなく、一緒に保管する方が最も都合がいいはずである。
それらを落とした挙句、一通はリュウが拾い、もう一通はアシ博士が拾っているため、手紙が分散して鍾乳洞内部に落ちることになった。

クラリンがカーターに宛てた手紙をアシ博士が持っていた理由

クラリンが「カーターがクラリンに宛てた手紙」を所持し、鍾乳洞内部で落としたことは理屈として理解できる。
しかし、アシ博士は「クラリンがカーターに宛てた手紙」も一緒(?)に拾っている。
この手紙はカーターが所持していたはずのものであるため、カーターも殺される前(?)に鍾乳洞内で手紙を落としたことになり、しかもクラリンの命令で手紙を探しに来たリュウの目に留まらなかったということになる。
アシ博士はいつ「クラリンがカーターに宛てた手紙」を拾ったのか。

カーター洞窟内について

全員で鍾乳洞内部へ入ったとき、カーター・リュウ・アシ博士の三名が懐中電灯を持っていた。
その後、カーターは盲目道で死体となって発見されるが、カーターの懐中電灯はそのさらに奥の通路で破壊された状態で発見された。
ここまではアシ博士が探索して判明したことである。

ここで以下の疑問がある。

秘密通路の数

カーター洞窟とフーカー洞窟は内部でつながっていたが、カーターはその通路をふさいでしまったため、それぞれの鍾乳洞は独立したものとなっているはずである。
しかし犯人の自供によると、ふさがれた通路とは別にカーター洞窟からフーカー洞窟へ進むことができる通路があったことになる。
鍾乳洞内部に詳しいはずであるリュウも知らなかった秘密通路とはどこにあったのか。

盲目道から盲目道へ

鍾乳洞内部にシャンデリアの殿堂と名付けられた広い空間があり、ここから盲目道をはじめとした五つの通路がのびている。
犯人の自供によると、犯人はカーターを殺害後、懐中電灯を奪い秘密通路を抜けて行方をくらますつもりだった。
しかし、通路を間違えて再び盲目道を進んでしまい、通路の奥の壁に懐中電灯をぶつけて壊してしまったため先に進むことができず、仕方がなく再度一行と合流することになったとしている。
つまり犯人は、盲目道でカーター殺害後にシャンデリアの殿堂に出た後、再び盲目道に入るという考えられないほどの大ミスをしでかしている。
こんなミスが(ヒューマンエラーとして)ありうるのか。

また、カーターを盲目道で殺害し、一度シャンデリアの殿堂に出た後、再び(間違えて)盲目道へ進んだとしたら、そこにはカーターの死体があるはずである。
その時点でその通路が盲目道(カーターを殺害した通路)であることに犯人は気付くはずであるが、それにもかかわらず先に進んでいる(懐中電灯を破壊している)ということは、盲目道こそがフーカー洞窟への脱出通路だったということになる。
しかしこの理論だと、誤って盲目道へと進んだという犯人の供述と矛盾し、犯行後に一度シャンデリアの殿堂に移動した理由がわからなくなる。
犯行後に死体を盲目道に移動させたという可能性もあるが、鍾乳洞内部は暗いため、死体を担いで移動することは不向きであること、アシ博士を含む他の見物客がいたことを考えると、その時間と暇はないとした方がよさそうである。 死体を移動させたという考えも、他の見物客がいたため、時間と暇もないと考えた方がいい。

ここで、犯人の供述と行動に矛盾がない理論を探るため、可能性を抜き出してみる。
犯人がどこでカーターを殺害するかについて以下に分類される。

  • a・犯人がカーターの殺害を盲目道と決めていた場合
  • b・犯人がカーターの殺害を盲目道と決めていなかった場合

犯人は秘密通路を知っていたはずである。
つまり以下に分かれる。

  • x・秘密通路が盲目道である場合
  • y・秘密通路が盲目道以外である場合

abとxyから以下の4パターンによる構成となる。

  • ax・犯人がカーターの殺害を盲目道と決めており、秘密通路が盲目道である場合
  • ay・犯人がカーターの殺害を盲目道と決めており、秘密通路が盲目道以外である場合
  • bx・犯人がカーターの殺害を盲目道と決めてなく、秘密通路が盲目道である場合
  • by・犯人がカーターの殺害を盲目道と決めてなく、秘密通路が盲目道以外である場合

axの場合、盲目道が凶行場所でかつ秘密通路なわけだから、一度シャンデリアの殿堂に出る必要はない。

ayの場合、犯行後にシャンデリアの殿堂出て、誤って再び盲目道に進んだという点は合致している。
しかし、カーターの死体がある以上、再び盲目道に進んでしまったということがわかったはずであるにもかかわらず、先に進み懐中電灯を壊しているため、供述と行動に矛盾する。

bxの場合、カーターがいた通路がたまたま盲目道で(凶行場所を決めてないため、人目がなければどこでも可能)あり、凶行後に一度シャンデリアの殿堂に出て秘密通路を確認したが、自分が出てきた通路(盲目道)がわからなくなり、再び盲目道へと進んでいったことになる。
しかし、犯人は誤って盲目道へと進んでいったと供述しており、秘密通路が盲目道だが誤って盲目道に入ってしまったという理論は、供述と行動に矛盾が生じている。
秘密通路が盲目道であることを知っているにもかかわらず、誤って盲目道に入ってしまったという供述はおかしいだろう。
この理論もありえない。

byの場合、カーターがいた通路がたまたま盲目道で(凶行場所を決めてないため、人目がなければどこでも可能)あり、凶行後に一度シャンデリアの殿堂に出て秘密通路を確認したが、自分が出てきた通路(盲目道)がわからなくなり、再び盲目道へと進んでいったことになる。(bxと同じ理屈)
bは犯行に及ぶ場所を特定していない前提だから、カーターの後を追って通路に入った犯人は、その道が盲目道であることを意識していないはずである。
犯行後に一度シャンデリアの殿堂に出たのは秘密通路を確認するためであり、秘密通路だと思って進んだ道は先ほど犯行に及んだ通路だったとしても、通路確認のためにシャンデリアの殿堂に出る必要はなかったと思う程度だろう。
つまり、秘密通路として進んだ道にカーターの死体が放置してあっても、その時点では違和感は感じなかったはずである。
しかし、今進んでいる通路が秘密通路ではないことに気付いた犯人は、壁に懐中電灯をぶつけて壊してしまい、一行と合流することにした。
懐中電灯がないためこれ以上進めないこと(盲目道は足場が悪く、懐中電灯があったとしても危険なことは作中に明示されている)と、ここが秘密通路ではないこと気付いたためこれ以上進んでもフーカー洞窟に出ることができないという二つの理由からそう判断したということになる。
よって、犯行時の通路がどの通路であるかを意識せず(前提b)、盲目道が秘密通路でない(前提y 言い換えれば盲目道が秘密通路でないことに気付いた)ということが、誤って盲目道を進んだという自供の内容と矛盾しなくなる。

つまりby説が該当する。

理由なき動機と殺人予告

カロルの母親はカーターの妹にあたり、カーターはカロルの伯父ということになる。
両者は血縁関係ということになるが、カーターを相続するのは娘であるヴァージニアであり、カロルが伯父を殺害する直接的な動機はない。
ヴァージニアが存在しない、もしくはカーターより先にヴァージニアが殺害された場合、カーター殺害による相続人はカロルということになる。(姪が伯父を相続する代襲相続のような法律があればの話だが)
そのため、カロルに対するブランデギーの嫌疑の根拠はやや薄弱だが、カロルは不可解な行動をしているため、嫌疑がかかるのもやむを得ない。
しかし、ブランデギーによる尋問の際、カロルが連続殺人を示唆した根拠は何であろうか。

動機がない

クラリンがカーターに求婚したのは黄金窟のためであったことは明らかだが、両者が婚姻前だった場合、クラリンにカーターを殺害する動機はない。
(両者は手紙のやり取りのみだったため、婚姻していたかどうかは不明)

連続殺人の理由

犯人がクラリンを殺害する際、それを目撃したバッジを口封じのために殺したという理屈は理解できるが、クラリンを殺害する動機がイマイチ理解できない。
カーター殺害は暗闇内で行われたため、目撃者がいたことは考えにくい。(クラリンは懐中電灯を持っていなかった)
クラリンは黄金窟を知っていたからか?

アシ博士はクラリンの死体が発見した際、連続殺人は最初の事件を補うために行われることがある、という鋭い推測をカーチスに話している。

まわりくどいがしかたがない動機

フーカー兄弟がヴァージニアを殺害しなかったのは、カーター洞窟を買う機会を失わないため。
フーカーの血縁者が全員死んでいても、フーカーがカーター洞窟を相続する権利はないため、ヴァージニアから買わなければならない。
カロルも相続人の候補となるが、このことをフーカーが知っていたとは思えない。

危機感がない

犯人が自分の車を使っていたのは間抜けとしか言いようがない。
しかも、ボストンのジョンがその番号を記憶していたのは不運だった。

叫び

バッジがカーター洞窟に入ったのはカーター殺害の晩。
リュウがアシ博士とカーチスと共にクラリンの死体を発見した時点でバッジの存在を知っていたため、「あいつの仕業だ」と思わず叫んでしまった。

後天的に矛盾がなくなった

カーチスの人物描写や鍾乳洞内部の歩き方等から、メヒタベルは肥満体系であることがわかるが、ボストンのジョンの電報には妹が中肉中背であるとしている。
結果として矛盾ではなくなったが、この部分について言及することはなかった。

カーター宅の逃走経路

犯人はクラリン殺害の際、クラリンが逃亡したように見せかけるためにバッグやコートを持ち出しているが、ハンカチや手紙はそのまま放置している。
逃げたように思わせるには、所持品すべてを持ち出す方が賢明だろう。
また、犯人が気を失ったクラリンを鍾乳洞内部に運ぶ際、カーター宅の広間(一階?)にいたと思われるブランデギーに見つからなかったことも疑問である。
作中最後の晩、ブランデギーは寝不足であることをほのめかしているため、クラリンが失踪した夜も寝ずの番をしていた可能性は高い。
カーター宅は階上の部屋でも安易に逃げ出せるような建物であったことは描写されているが、大の大人一人担いでいるというハンデを無視できるようなものであっただろうか。
そもそも、最初の事件以降、カーター宅で番をしていたブランデギーの存在を知っていながら、クラリンを鍾乳洞へ運んだ犯人はかなり肝が据わっていたことになる。

裏の裏をかいたおとり作戦

アシ博士は犯人を罠にかけるため、最後の晩にブランデギーを巧みに誘導し、自ら番をかってでた。
この会話をしている際、カーチスは何者かが立ち聞きしている気配を感じるが、誰であったかは不明だった。
深夜、メルトンと共にアシ博士の部屋を訪れたカーチスは、ベッドのふくらみに突き刺された鍾乳石の剣を見つけるが、これはすでにアシ博士の罠に犯人がかかった後であった。
アシ博士がブランデギーの代わりに広間で番をすることになったということを立ち聞きしていたはずの犯人が、なぜアシ博士の寝室を襲撃したのか。
立ち聞きしていたなら、アシ博士は寝室ではなく広間で番をしていたことを知っていたはずである。

無計画犯罪

計画的な犯行であるにもかかわらず、凶器を用意していない。
懐中電灯も同様である。