昭和ミステリー大全集 上巻(新潮社編)

大正後期から昭和半ば、1918年~1949年までの探偵小説、推理小説を収録したアンソロジー。
決して珍しい作家ではありませんが、意外と読んでいない作家と作品が多く収録されています。
結果として3割ほどは再読することになりました。

最初の2人の作家は探偵小説家というよりも文学作家。
にもかかわらず、発想や構成に探偵小説を感じさせるということは多彩な作家であったことがうかがえる。
個人的に文学関係に疎いのですが、文学作家が書いた探偵小説(推理小説)を読むことができる本作は結構ありがたく、また新鮮。

また、収録作家には結構つながりがある。
例えば、

  • 佐藤春夫と大坪砂男は子弟関係
  • 谷崎潤一郎と渡辺温は作家と編集者の関係
  • 渡辺啓助と渡辺温は兄弟
  • 横溝正史は休載した際の穴埋めをした小栗虫太郎の才能を高く評価していた
  • 山田風太郎と高木彬光は同期デビューで親友同士

などなど。
山田風太郎と高木彬光に挟まれた大坪砂男が少し気の毒に思える。

  • 指紋(佐藤春夫)
  • 途上(谷崎潤一郎)
  • 琥珀のパイプ(甲賀三郎)
  • 怪奇の創造(城昌幸)
  • 嘘(渡辺温)
  • お・それ・みお(水谷準)
  • 死後の恋(夢野久作)
  • 押絵と旅する男(江戸川乱歩)
  • 殺された天一坊(浜尾四郎)
  • 聖アレキセイ寺院の惨劇(小栗虫太郎)
  • 聖悪魔(渡辺啓助)
  • 怪奇を抱く壁(角田喜久雄)
  • ハムレット(久生十蘭)
  • 探偵小説(横溝正史)
  • 眼中の悪魔(山田風太郎)
  • 天狗(大坪砂男)
  • 妖婦の宿(高木彬光)
指紋(1918年)

タイトル通り「指紋」に着想を得たと思われる本作。
ミステリーではあるが推理小説ではなく、個人的な感想では探偵小説にギリギリかする程度。
文学作家らしい精密な心理風景描写が恐ろしいほど読みにくい。
短編というよりも中編であるため、少し時間がかかるかと思ったら読み終えるにほぼ一ヶ月かかったというていたらくぶり。
話の内容がつかみにくく、おそらく一気に読んでもつかみにくいと思われる。
R・Nは月を見たのか、それとも船を見たのか・・・、どっちなんだ。

"まったく同じ指紋が二つ存在するならば・・・"というあり得るのかあり得ないのか不明な命題を中心に、R・Nなる人物が「私」に論理展開を訴える場面が非常に近代的。
このような理屈に力点を置いた作品がまさか大正時代に書かれているとは思わなかった。
もしかしたら文学作品にはこのような作品が多いのだろうか。

途上(1920年)

未必の故意とパーセントを扱った犯罪小説。
じわりじわりと追い詰められていくサスペンス性が素晴らしい。
指紋(佐藤春夫)の構成とあいまいさに対し、本作は本当にシンプルで読みやすい。

琥珀のパイプ(1924年)

本格推理提唱者甲賀三郎の代表作。
琥珀のパイプとはなんだったのか。

海野十三ばり複雑な理化学トリックと、現場の状況からいとも簡単に犯人を絞り込む本格推理が融合した秀作。
自然を利用するトリックは幾多あれど、あれほど間接的な大自然トリックはそうそうお目にかかれないのでは。
トリックの着想とその雄大さに思わず感心する。だがトリックの仕掛けはさっぱり

冒険小説に出てくるような古典暗号も一種の華ととらえることができそうですが、トリック要素のほうが印象深く、とってつけた趣向にも思える。
弘田喬太郎の「眠り男羅次郎」ばりの神速業がなんの説明もなく出てきていい意味で古典作品だと感じる。

怪奇の創造(1925年)

短編以上に短編。
怪奇という名の宝石を拾い集める詩人にふさわしい作品に思う。
でも怪奇というよりもユーモアとちゃめっけの印象が強い。

嘘(1927年)

どことなく「かわいそう」な話ばかり作るような先入観を持つ作家渡辺温。
どこまでが嘘なのかを気にしながら読むと本作は結構考えられた作風に思える。

接吻と引き換えに紙入れをすられるという奇妙な語り口にロマンさと哀愁を感じる。

お・それ・みお(1927年)

死んだ恋人をある場所に埋葬しようとする男の話。
「恋人を喰べる話」といい「七つの閨」といい、水谷準の作品には狂人や変態が多すぎる。

尋常を超える発想と、あり得るかもしれないと思わせる絶妙な真実性が実にバランスが良い。
怪奇というよりも奇妙な話。

死後の恋(1928年)

以前読んだことがあるのですがまったく覚えてないので再読。
タイトルを素直に反映した内容でないことや、奇抜な構想への疑問は尽きない。
早い話感想に困る。

敵軍から強襲を受けた際の駆け抜けるような凄惨さ、頬をかすめていく弾丸と血なまぐさ、体と心に突き抜ける痛みの描写が生々しい。

押絵と旅する男(1929年)

本作のような構成は現在ではそれほど珍しいものではないでしょうが、当然、それとは同一にできますまい。
ロマンス絡みの情緒を感じる作品。

殺された天一坊(1929年)

とにかく「御」が出まくる作品。
そんなにかしこまらなくともいいと思うが。

正義のため正義を殺す男の苦悩を第三者から描く。
遠山の金さんの如き奉行もやはり人の子、自ら下した審判(?)の矛盾に気づきながらも職業柄内心に苦悩をため込む凄惨さと辛らつさが表現されている。
子供を取り返したい女の心情、ただ親に会いに来た男を死へと追いやる正義という概念を鋭く皮肉っているさまは、作者の職業観がいかんなく発揮されている。

聖アレキセイ寺院の惨劇(1933年)

以前読んだけど、まったく覚えていないので再読。
事件発生→探偵登場→現場検証→推理→解決という流れを他の収録作品以上に汲んでいるにも関わらず、読者おいてけぼりの超論理が本作最大の魅力。
黒死館殺人事件のような長編だとギブアップしたくなりますが、短編ならなんとか読み終えることは可能。
そういえば密室殺人だったっけ・・・、と今更ながら気付きました。

古典的密室トリックと雄大(すぎた)な電気仕掛け、寒波を利用した理化学トリックと、古典的探偵小説を地で行く構成が結構以外。
衒学的な面ばかり取り上げられる小栗虫太郎ですが、証拠に基づいた根拠から推理するという地に足のついた論理展開も行えることを示したように思える。
トリックと理屈は考えるな感じろ系ですが。

聖悪魔(1937年)

法律といえど頭の中までは手を出せない「内心の自由」と、人の身の内にひそむ悪癖に忠実な話。
内心からあふれてくる欲望を満たすため、無害といえど形にすることは危険以外の何物でもない。
人を破滅させる最初の一歩は、ひとしからずその人物以外にあり得ないということか。

怪奇を抱く壁(1946年)

推理小説上、もっとも寡黙で厳格な男、加賀美敬三初登場作品。
たんなる置き引きから始まる意外な復讐劇としては、なかなかに回りくどい方法をとったものだ。
その違和感を感じさせない以上の奇妙な謎の提示が面白く、回りくどい(二度目)が安易な復讐劇にしなかった作者の知性が光る。

新聞広告から推理する加賀美の推理の切れ味も鮮やかなところも高評価。

ハムレット(1946年)

再読。

性格学とシェイクスピアのボキャブラリーはどことなく衒学的。
推理もトリックもロジックもない作風なだけに、たよりは唯一プロットのみ。
読み側を最後まで引っ張る表現の豊かさはかなりのものに思える。

不幸な事故で舞台を降りてもハムレットであり続けた男の話。
生きるか死ぬかをハムレットを通じて保証される人生ははたして幸福であるのか。

探偵小説(1946年)

これも再読。
金田一耕助シリーズにはそれほど論理を魅せることはしないが、本作はトリックとロジックからなる本格推理。
正直、こういう作品を読んでいるのが一番楽しい。
なによりも感想書きやすい。

戦前で鉄道ミステリーというと、本格推理を書いていたのは大阪圭吉や成田尚・・・、ぐらいか。
それ以外は、理屈というよりも情緒を描いた作品が多かった。(そういう作品も好きですが)
本作は戦後間もなくかかれた鉄道本格推理、鮎川哲也とて実質デビューはまだだったはず。
使われたトリック自体は海外作家がすでに書いていたため、それほど珍しくはないが、それを補う論理の数々が非常によくできている。
また、最後に登場する意外な登場人物の出現も構成の一つとして面白い。

実際に発生した殺人事件をもとに、推理作家が話を作り上げて聞かせるという構成。
作中「~ということにする」という言葉が比較的使用されるが、前提となるストーリーが上記のようなものであるため、そのメタチックな発言に不自然さは感じられない。
本格推理は最初から最後までプロットが破綻しないのが前提ですが、こうすることで、あいまいな部分を代替案で解決することができるのも本作の特徴に思える。
まったくうまい手を考えたものです。

作中の推理作家の話を聞くのは2人の男女。
一人は画家の男、一人は新人歌手の女。
歌手の名前は「鮎川」、本作は鉄道本格推理。
なにかしら因果があるような・・・。

眼中の悪魔(1948年)

再読。

日記や手紙から構成された本作。
構成上の利点として、書き手の思考描写がきめ細やかで、どことなくうまい文章を堪能できる(気にさせてくれる)本作。
小酒井不木のある作品とチェスタトンの逆説じみた構成が実に見事。
主人公が医者の卵であるのも医学を学んでいたとういう作者の影響か、医者ならではの異様な説得力も高評価。
作者の生い立ちや専門性が形にされた作品というのは、読者を奇妙な引力で縛り付ける魅力があるように思えます。

しかしながら、眼の中の悪魔の存在を肯定してもいいのだろうか。
いつどこで悪魔が出てくるのかもわからないというのに。

天狗(1948年)

再読。

探偵小説文学論を説いた木々高太郎と同様、トリックや論理を追求せず情緒や幻想を追い求めた作家、大坪砂男デビュー作。
巻頭を飾った佐藤春夫に比肩しうる読みにくさと状況の奇抜さは印象深い。
わけのわからぬ状況からなぜこうなったかがまったくつかめず、一体どういうことなんだ?
しかしながら、デビュー作の時点ですでに完成された文体と表現力を身につけているところはさすがといったところ。

女が黒百合(もどき)を手にしようとした瞬間、竹林の上空を飛び、沼に着地する。
その大胆さと意外さ、そしてどこかしら論理上可能ではないかと思わせる現実味、従来のトリック小説以上にトリックに力を入れた作品です。

妖婦の宿(1949年)

再読。

犯人当ての余興として執筆された本作。
読者の知識と固定概念を逆手に取ったプロットが面白い。
文章も非常に読みやすく、無駄な描写もないためすんなりと状況を飲み込むことができる点はまさに犯人当てとして理想の姿。
参加者の一人である千代有三に犯人を当てられたとはいえ、本作が優れた作品であることに変わりはないでしょう。