街中の男 フランス・ミステリ傑作選1

シムノンを代表するフランス人作家に共通して言えることは、人間心理の描写に長けているということに尽きる。
本書に収録された短編集の多くは、主人公ないし語り手を中心にストーリーが展開し、その都度その都度、その人物の感情が一人称もしくは第三の人物の手によって差し込まれる。
作中人物をただの登場人物ではなく、自身で考え行動する本物の人間と捉え、一つの心理小説として完成させるのがこの国の作家のやり方なのだろう。
特に「街中の男」や「犬」がその記述スタイルを効果的に引き出している。

編者・訳者である長島良三によると、本書は日本初のフランス・ミステリのアンソロジーであるとのこと。
シムノンやボワローとナルスジャック、ステーマン、ヴェリあたりは日本でも著名な作家であるかと思うが、その他の作家は比較的珍しい作家ということで、何気なく購入し読み始めた割には結構新鮮味を感じた。
これもまたフランス・ミステリの特徴なのか、意外にどんでん返しが多く、叙述トリックで魅了する現在の日本のミステリ作家とも共通点がある。
といっても、収録作の中にこのトリックを仕掛けている作品はなく、起伏あるストーリーの演出に成功した作品ばかりである。

個人的な好みとして、女主人公の心理描写がゆたかな「犬」、ミステリーにこの趣向はいいのかと少し考えさせる「トンガリ山の穴奇譚」、最後の一行にすべてをかけた「羊頭狗肉」、読者のみ殺害動機を理解できる「つき」、ブラックユーモアななんてこったいが味わえる「自殺ホテル」あたりだろうか。
半分近くもあるじゃねーか!

  • 街中の男(ジョルジュ・シムノン)
  • 犬(ボワロー/ナルスジャック)
  • トンガリ山の穴奇譚(カミ)
  • 見えない眼(スタニスラス・A・ステーマン)
  • 七十万個の赤蕪(ピエール・ヴェリ)
  • 羊頭狗肉(フランシス・ディドロ)
  • 悪い遺伝子(フレデリック・ダール)
  • 壁の中の声(ミシェル・グリゾリア)
  • つき(ルイ・C・トーマ)
  • 殺人・あ・ら・かると(フランソワーズ・サガン)
  • 自殺ホテル(アンドレ・モロワ)
街中の男(ジョルジュ・シムノン)

心理小説の代表作家の真骨頂。
尾行するメグレと尾行される男の構図から成り立つ作品だが、作中にて頻繁に差し込まれるメグレの心理と男への疑問は心理小説の名に恥じない。

犬(ボワロー/ナルスジャック)

密室殺人の印象が強いこの両作家だが、本領発揮の舞台はむしろサスペンスで、本作では長期旅行に出たおじと二輪馬車を怖がる犬の謎を中心にどんでん返しを試みている。
登場人物も少なく、プロットだけでここまでのミステリーに仕上げた作者の手腕は見事なもの。

トンガリ山の穴奇譚(カミ)

異様に長い鷲鼻が印象的なルフォック・オルメスの冒険譚の一つ。
トンガリ山の穴ホテルにて発生した謎の大声事件を、たまたま居合わせたルフォック・オルメスが突発的な推理(?)で真相を暴く。

ルフォック・オルメスの立ち振る舞いや事件の真相からユーモアが漂い、ミステリーの禁じ手も何事もなく行われているところが少し意外だった。
思えばカミの作品は初めてで、かつルフォック・オルメスものも初めてなのだからこれが普通なのかもしれない。
バルコニーのトリックはその意外性が面白い。

見えない眼(スタニスラス・A・ステーマン)

本作は「シラ・ロールの手柄話」なる短編に収録された一作。
主人公がWens氏ではないところからすると、おそらく日本では翻訳されていない短編集なのかもしれない。

ボヤ騒ぎが連発する児童養護施設を舞台にしたものだが、全体的にページ数が少なく、なんとも突拍子もない事件構成に思えてくるのは仕方がない。
盲目であるがゆえ、物への興味を持つことは当然だが...うーん、なんともなぁ。

七十万個の赤蕪(ピエール・ヴェリ)

赤蕪の読みは「あかかぶ」、つまりラディッシュのこと。
これを打ち込むのに、わざわざIMEパッドを使う羽目になるとは。

七十万個の赤蕪の買取依頼がある出版社に届き、その数日後に売買契約成立の手紙が届く。
その後、社長秘書が誘拐されるというなにからなにまで突拍子のないプロットからなる愉快な事件。
全体的に感想が書きにくい作品だった。

羊頭狗肉(フランシス・ディドロ)

本書に収録された中でも比較的ミステリーしていると感じた作品。
なんでもない交通事故が唐突に殺人へと転換するテンポも良いが、最後の数行のどんでん返しと最後の一行の恐怖の演出がひたすら巧みだった。
短編で登場人物も少ないなか、謎に組み込んだwho・why・howの3種をここまでうまく扱うのは至難の技だと思う。
しかもこの3種の謎を同時に暴くというところが素晴らしい。

悪い遺伝子(フレデリック・ダール)

文字数が少ない超短編にもかかわらず、最後の意外な結末に余韻を残すショート・ミステリーのお手本のような作品。
この作者はどんでん返しの扱いがうまいらしく、結末を悟らせない巧みな文体からなせる技だと思う。

壁の中の声(ミシェル・グリゾリア)

収録作品のなかの唯一といっていいほどの問題児。
蛇口から聞こえる死を賛美する女の声を聞き、主人公の「わたし」はあることをする。
導入部分はなんてことないが、結末への導き方がとてつもなく突発的であるため、理解に苦しむ作品だった。

つき(ルイ・C・トーマ)

個人的にかなり印象に残る作品。
短めでありながらミステリーの沿ったストーリーとどんでん返しを組み合わせた秀作。
犯人の悪運には同情しかしないが、衝動的な殺人の理由を警察が特定できなかったという結末の一文が素晴らしい功績を挙げていると思う。

殺人・あ・ら・かると(フランソワーズ・サガン)

ある状況に置かれた人間の心理を押し出したという点において、作者の独自性が現れており、女の愛憎の緻密な描写はいかにも情熱的なフランス人らしい。
しかし、その他の収録作品は何かしらのストーリー上の技巧が加えられているということを考えると、本作のようなド直球のサスペンスはややインパクトに欠ける印象を受ける。

自殺ホテル(アンドレ・モロワ)

自殺志願者に送られるという自殺ホテルの招待状というユーモラスな導入と、自殺という悲観的な言葉に似合わないしゃれた雰囲気が印象的。
にもかかわらず、書き出しのユーモアを結末にてブラックユーモアに変化させるという凝ったストーリーが素晴らしい。
これといって特別な技巧が施されているわけではなく、ただ単純に、気の利いたプロットの勝利と言わずにはいられない。