日本探偵小説集7 木々高太郎集

探偵小説という名称を推理小説と改めたといわれている(本人は否定しているっぽいが)木々高太郎の作品集。
かといって「推理を駆使して事件等を解決する小説」の書き手というわけではなく、むしろ本格推理的な要素を嫌い、社会性とヒューマニズムに文学的創造を取り入れた作風が多い。
自身が精神科医であったこともあり、精神分析や深層心理の医学的考察に長けており、被験者が意図していない無意識の心理を根拠を用いて作品に取り入れている。
そういった作風であったため、一つ一つの論理性はあくまで「精神上」「医学上」のものであって一般的な論理ではないため、必ずしも根拠に説得力があるわけではない。
探偵小説的に長所であり推理小説的に短所でもある。

個人的に気に入っている作品は、オーソドックスな精神分析趣向を凝らした「網膜脈視症」と「就眠儀式」、探偵を主人公として全体的に本格推理的要素がうかがえる「折蘆」、伏線を論理的に考察・分析している「月蝕」、ヒロインの生い立ちと心理構造の考察から展開し、一種の毒殺トリックを披露した「わが女学生時代の罪」あたり。
特に「網膜脈視症」は水上呂理をして衝撃的だったといわせた木々の処女作。
精神科医大心池教授の初登場作であり、人の心理に寄り添う深い考察力と観察眼、分析力を持つ。
作風や扱うテーマ、心理描写の克明さ等、インテリゲンチャな木々と重ねて見えることもあり、自身がモデルであったとしても驚くに値しないだろう。

  • 網膜脈視症(新青年1934年11月)
  • 睡り人形(新青年1935年2月)
  • 就眠儀式(ぷろふいる1935年6月)
  • 柳桜集 二つの探偵小説(週刊朝日1936年8月・10月)
  • 折蘆(報知新聞1937年1月~6月)
  • 永遠の女囚(新青年1938年11月号)
  • 新月(宝石1946年5月号)
  • 月蝕(オール読物1946年11月号)
  • わが女学生時代の罪(宝石1949年3月~1951年12月号)
  • バラのトゲ(週刊朝日別冊1955年9月号)
網膜脈視症(新青年1934年11月)

神経症による幻視とエディプス観念群を扱った作品で、精神科医の大心池初登場作。
専門知識を駆使した創作物など珍しくもなんともない今日、医学要素や深層心理学を組み込んだ初期の作品で、前例もそれほどないため珍しくもあります。
子供の深層心理を読み取り解析する精神分析と事件性を関連付けた作風で、隠蔽された犯罪への描写がやや駆け足気味ですが、「心理への追及」という探偵小説論は作者の以後の作品にも共通しています。

精神分析を題材にした探偵小説の先駆けは1928年の水上呂理「精神分析」が発端ですが、本作はその先駆者をしてショックを受けたといわせたことで有名。
そういった経緯から以前から読んでみたかった作品でもある。

睡り人形(新青年1935年2月)

神経症の権威の老学者が、若い妻に対する煽情的な愛情と嗜眠性脳炎に対する臨床実験を同時に施すという内容。
少なからず異常性癖を扱ったという点でいささか変態じみた内容ですが、戦前の探偵小説ということを鑑みれば、唯一無二の珍しさというわけではないでしょう。
これだけの題材を扱っていながら、艶めかしい煽情的な表現は皆無といってよく、綴られた文体からは専門家ならではの冷静さが伝わってくる。
嗜眠性脳炎に対する犯罪の隠蔽や考察に対しても、性的欲求以上の学問への知的欲求を感じさせ、単なる異常性を訴えたものと一線を画しています。

発表当時、その内容が過激であったために伏字を用いたという本作ですが、その伏字に相当する部分は「抱擁」や「愛撫」といった、現代では伏せるに足らない愛を表現する羅列であったとのこと。
時代を考慮すれば理解はできますが、執筆家にとってなかなかに、当時の日本は生きにくかったに違いない。

就眠儀式(ぷろふいる1935年6月)

エディプス観念群を扱っている部分は「網膜脈視症」と同様ですが、同時に水上呂理の「精神分析」と同じ題材を扱っていることも興味深い。
フロイト流の分析診断をそのまま結末に持って行った「精神分析」と異なり、本作では別の事件を間に挟み、より探偵小説らしい作風に仕上がっている。
扱っているテーマがややデリケートでありながら、作風全体からどこかしら知的な印象を感じるのは、大心池先生の観察眼の鋭さと物腰の柔らかさが故か。
それとも作者の専門性の高さからか。

探偵小説要素だけを抜き取れば、状況の不可解性やカンテラの重要性にはやや疑問を抱きます。
ウッドのメタルという木なのか金属なのかわからない物質にどれほどの意味があるのか。

柳桜集 二つの探偵小説

「緑色の目」「文学少女」から構成される短編作品。
江戸川乱歩の随筆「文学少女を読む」が併録されており、作者の文学への思いの強さと筋の通った構成を高く評価している。
木々の「跋」という作品(もしくは随筆)と本作二作、それに乱歩の随筆を合わせた、計四つの作品から構成される「柳桜集」の完成度の高さが故に本書に収録された。
でもなぜか「跋」は収録されていない。
どうせなら全部収録してもよさそうなものだが。

「緑の目」「文学少女」ともに関連性はなく、まったく別の作品でありながら、作中の事件の首謀者の境遇だけが非常に似通っているという奇妙な一致が見られる。

緑の目(週刊朝日1936年8月)

日本人医師とドイツ人女性(作中ではベルリン娘)という身分も国籍も異なる男女の簡潔な恋愛と、これも簡潔な殺人事件からなる作品。
森鴎外「舞姫」から着想を練り、森鴎外自身もドイツへ軍医として赴任し、ドイツ人女性との恋愛経験があるらしいので、本作もそれに従事た構成となっている。
本格推理嫌いな作者にしてはえらくトリッキーというか、逆説じみた小気味なトリックであっさりとしていて読みやすい。
ヘノポジ油中毒という聞きなれぬ死因、作中女性が発症する黄疸等、いかにも医学関係者らしい作風だが、ただ単にそれらを絡ませるだけでないところが作者のしたたかな部分。
知的な作風は本作に限ったことではないが、文学的なストーリー展開の手法が印象的。

文学少女(新青年1936年10月)

幼少から読書好きな少女ミヤの生涯を紡ぐ文学的作品。
探偵小説的要素は後半になってひょっこりと顔を出す程度で、終始、文学に憧れ、騙され、振り回され、それでもなお憧れる劇的な人生を、重くシリアスな文体と軽妙な文体を織り交ぜて綴っている。
ただの文学少女に光を投じた大心池の存在は大きく、死の淵で再び文学に向き合い、大心池に再び見出されることを望むミヤの最期は、どことなく魂が救われたということを感じさせる。

折蘆(報知新聞1937年1月~6月)

収録作品の中で最大の長編で、木々流本格推理といってもいいほど他の作品と異なる雰囲気を醸してる。
序盤で明らかになる密室殺人の存在、殺人嫌疑内の人物への尋問、アリバイへの考察等、ことごとく本格推理要素を盛り合わせた作品で、理詰めの推理もあり、そういう意味では最も読みごたえがあり気に入った作品。
事件の結末も決して派手ではないが、一応に理屈は通っており、案外地に足が付いた作風が心地よい。
本格推理は好かんが俺でもこの程度は書けるぜ、という作者の声が聞こえてくる(かもしれない)。

永遠の女囚(新青年1938年11月号)

わがままな義理の妹、桂の殺人容疑を弁護することになった弁護士の話。
話自体は一見すると分かりやすいが、その都度複雑な桂の心理が隠されて差し込まれるため、理解に骨が折れる。
桂が弁護士(義理の兄)に問いただす、「親の承諾なしで結婚が可能な年齢」の真意が、話を理解するためのポイントになるのではないかと思う。

新月(宝石1946年5月号)

1948年の初代探偵作家クラブ短編部門受賞作。
作中人物の心理の理解に難をみたことから、補完的作品として下記「月蝕」が執筆された。
一回の通読では理解しにくいが、繰り返し読むことで、おぼろげながらその心理を理解することができる。
しかし、相手が死ぬことで安堵するという心理の理解は、一般的に困難と言わざるを得ないのではないか。

月蝕(オール読物1946年11月号)

上記「新月」を補完する作品。
本作を読んで意外と感じるのは、人間性や社会性を重視した作風が大多数を占める作者が、(新月の)伏線から根拠と真実を引き出す分析を試みているということ。
一般的に推理小説の名付け親とされている木々が分析による推理を披露しているという点で、本作には「新月の補足作」以上の価値があったように思える。
小説風随筆という不思議な特色を備えている。

わが女学生時代の罪(宝石1949年3月~1951年12月号)

画家の中毒死から始まる戦後の代表作。
序盤こそ普通の推理小説のようにも思えるが、ヒロインに対する精神分析と深層心理への追及が大半を占め、終盤になって再び毒殺事件とつながるという普遍的な構成となっている。
ヒロインの出生から現在に至るまでの心理の克明な記述は、まさに人間の精神と葛藤を描いたものであり、その後到来する社会は推理小説のはしりとなった。
画家殺しの事件の印象は作品全体に比べて希薄で、その犯人や動機の扱いも小規模で駆け足気味であるが、毒殺方法に関して本格推理的な趣向が取られており、一種の毒殺トリックとみることができる。
本格推理好きなら本作に愛着を持つことができるかもしれない。

3年にわたり執筆したため、ところどころにつじつまの合わない部分があり、それは作者も認めるところ。
思い返すと、つじつまが合わないというよりも都合がよいという感じを受けた。

バラのトゲ(週刊朝日別冊1955年9月号)

被害者が死ぬ前に犯人の名前を告げるが、その人物にアリバイがあったという、作者にしては異色の書き出しで幕を開ける異色作。
ダイイングメッセージとアリバイという要素だが、あくまで構想上使われているというだけで、実際の結末はやや都合の良い考察程度になっているところがいかにもそれらしい。
後半は大心池博士の講義が大半を占めるが、(いつもながら)人間的な深層心理を扱っているせいか、論理の根拠に説得力がなく、その部分が作品を平凡なものにしているような気がする。