下り"はつかり"(創元推理文庫)

創元推理文庫から献上された「五つの時計」の姉妹本。
下り"はつかり"を含めた、鮎川哲也の(割と)デビュー初期を含めた作品を集めた本格推理短編集。

創元推理文庫の"とびら"(本のタイトルページの部分。通常は最初の1ページ目に該当する)のタイトルの下には、本の内容を簡潔に述べた文章が挿入されるのが常ですが、本作の場合はどことなく小難しい詩のような文章が掲載されているところが印象深い。
要約すると、「デビュー初期から本格推理に定評のある鮎川哲也の初期作品が収録されています。どうぞお楽しみください」という感じですが、だれがあの意味深で情緒あふれる文章を考えるのだろう。
姉妹本である「五つの時計」にも同様の文章が寄せられていますが、若き日の鮎川を将来有望な馬に例え、江戸川乱歩から届いた一通の書状(乱歩編集の宝石への依頼の電報のこと)がその馬に天駆ける転機を与えたという、これまた例えが独特で素敵な文章が添えられています。

鮎川作品の真価は読めばわかりますが、内容以外で気になったことといえば、登場する女性の話し方のそれはまあ上品なこと。
「~ですわ」や「~ですのよ」「~ですの」という、どこのお嬢様だよ、と言わんばかりの上品さを醸し出しています。
この話し方は初期作品以外にも頻繁に登場し、読み手側に時代の流れを感じさせます。

登場人物にこのような語尾をつけるのは、作者自身がフェミニストだからかと思いますが、本人が言うに、フェミニストだからこそ女性を醜く描写してしまうとのこと。
本格推理という堅苦しい論理の世界の中に、醜くも上品さを失わない女性像の気品を見出した結果なのかもしれません。

  • 地虫(別冊宝石1949年12月)
  • 赤い密室(探偵実話1954年8月号)
  • 碑文谷事件(探偵実話1955年11月号)
  • 達也が嗤う(宝石1956年10月号)
  • 絵のない絵本(探偵倶楽部1957年3月号)
  • 誰の屍体か(探偵倶楽部1957年5月号)
  • 他殺にしてくれ(探偵倶楽部1957年11月号)
  • 金魚の寝言(オール讀物1959年5月号)
  • 暗い河(週刊サンケイ別冊1961年3月号)
  • 下り"はつかり"(小説中央公論1962年1月号)
  • 死が二人を別つまで(推理ストーリー1965年7号)
地虫(別冊宝石1949年12月)

デビューから間もない作品だからなのか、鮎川哲也にしては珍しい非本格推理物。
鮎川流幻想ロマンといった感じでしょうか。
招待状に記した羅馬夫の名前が「薔薇小路棘麿」になっていることを考えると、ペンネームに対して無関心でありながらも、作者は案外ロマンチストであったのかもしれない。

のちにアンソロジー等で埋もれた作品を発掘してきた作者ですが、その中には本作のような幻想じみた作品もありました。
本作はそれら名作になんら引けを取らず、鮎川哲也はこういうものも書けるのか、としばし驚くに値する作品でした。

1950年に「宝石」が企画したの百万円懸賞募集のC級(短編部門)の候補作となった。

赤い密室(探偵実話1954年8月号)

密室殺人の本質を、心理錯覚を利用した「心理の密室」とした鮎川哲也の理想郷。
密室トリックにおける構成の堅牢さ、論理に破綻がなく、細部にまで執筆者のこだわりが感じられる。

困難を分割させるための時間錯覚の構成が絶妙で、安易なトリックに走らなかった点が本作の最も優れた点。
密室にバラバラ殺人という猟奇性あふれる素材を扱っているには、血なまぐさを感じさせず、雰囲気だけにおぼれない論理的な構成が素晴らしい。
バラバラ殺人であることにもアリバイ・密室トリック面から意味を持たせており、その一点を死体を包む新聞紙へと終着させる流れが本当に見事。
こうすることで、困難を分割させるトリックを堂々と隠ぺいし、死体解体が行われたことに対するミスリードへとつなげています。
また、タイトルに隠された暗喩も気が利いています。

作者は作中に登場する星影龍三の口を借り、密室殺人における密室の意義にかなり明確な考えを持っています。
本作はその言葉通り、密室の理由は明確に明示されてはいますが、これは同時に犯人ではあり得ないという論理面と均衡する弱点があるようにも思えます。
つまり、密室だからこそ唯一の犯人という論理と、密室だからこそ犯人として不自然という論理が均衡し、そのうち特に理由もなく、片方の論理を推理の一部として採用しているのです。
作者はこの矛盾に間違いなく気づいており、疑惑をもたれた人物が絶対に口にできないアリバイの存在を登場させ、なるべく不自然さをなくす配慮を行っています。
このような作者苦心の痕跡が垣間見えるのはマイナスではなくむしろプラスといっていいと思います。

しかしながら、動機にやや難が見えるのは短編でかつ本格推理の弱点としての伝統か。
肝心な部分がことさら論理的であるだけに、よりいっそう奇妙さが浮き彫りになることは仕方ないのかもしれません。

碑文谷事件(探偵実話1955年11月号)

危険な橋を渡る如き偽造アリバイに現実味はないが、厳格な論理の首尾一貫性が光る。
共犯者との入れ替わりというありがちな手を示唆しておきながら、結局そのトリックを使わないところがいかにも作者らしい。
本格推理において安易な共犯は登場させるべきではないという考えは同感です。

本作の偽造アリバイは当事者の認識ずれを利用したものですが、いつ発覚してもおかしくなく、捜査するのが鬼貫警部一人のみというところも工作が成功した要因でもあります。
この部分だけ見てみるといかにも都合のよさばかり目立ちますが、読み終えてみると、少なくても3種類以上のミスディレクションを使い、トリックの要が露出しないよう配慮されていることがわかります。
トリックやプロットから生じた弱点を放置しないということは、作者自ら組み立てた論理の矛盾や欠点に気づいている証拠でしょう。
これは簡単なようで案外困難かもしれません。
また、作中に登場する手の傷の扱い方が非常に論理性が高く、第三者の発言の意図に鬼貫が気づくまでの流れも含めてまるでエラリー・クイーン(特にXの悲劇)のようですが、使い方や考え方は鮎川哲也独自のものとなっています。

一つ気になるのは、下関の赤間宮で取られた写真の存在です。
同日に撮影された写真に空が写されていなかったことは作中にある説明通りだとは思いますが、赤間宮での写真だけは調べれば確実にからくりがばれてしまいます。
上記の理由から、これら写真をアリバイに使うつもりで撮影しておきながら、調べればばれてしまうというのは何かがおかしい。
これも単なるミスディレクションの一部なのか、作者はどのような考えでこれらを作中に取り入れたのでしょうか。

達也が嗤う(宝石1956年10月号)

当時の雑誌「宝石」の編集長であった永瀬三吾によって本誌に掲載された作品。
編集部全員が掲載に反対したにもかかわらず、編集長の独断で押し切ったため、いつ辞めてもいいように辞表を懐に持参して出勤したという逸話がある。
実力とは無関係なところでいざこざに苦労した作者も必死だったと思うが、職を失う覚悟という意味で編集長も必死だったということがよくわかるエピソード。

犯人当てとして名高い秀作。
妖婦の宿(高木彬光)と同様、その作者の作品をいくつか読んでしまうと解答にたどり着くことは困難を極めますが、からくりに気付いてしまえば犯人を当てることは比較的簡単。
しかしそれだけでは作中の仕組まれた細工の数々を看破することはできません。
読み込むことで異常なまでの伏線の奥深さを知ることができます。

本作では、登場人物の言動や動きに意図的な矛盾が多く伏せられており、その一つ一つに気づくことが犯人を知る最大の近道となります。
ある一部分のみ特殊な知識が必要になりますが、その部分を理解できなくても別の証拠で事実を知ることができるように工夫されており、あくまでフェアであることをこだわった作者の執念のような精神に感服。
翻訳家の田中潤司氏は完全解答、作家・編集者・翻訳家の都筑道夫氏は犯人を当てることのみ成功したとのこと。
両者とも翻訳に携わっていたことから、海外作品に慣れ親しんでいると当てやすかったらしいのですが、実際のところ、ただ単に頭のキレる勘の鋭い名探偵が2人いたということだけでしょう。
正直、お見事というしかありません。

個人的に、犯人当てというジャンルの中でも「薔薇荘殺人事件」と肩を並べてダントツ一位。
どちらも同じ作者であるということが信じられぬ。

絵のない絵本(探偵倶楽部1957年3月号)

地虫に続き、収録二作目の非本格推理物。
月と対話する推理作家(?)というストーリーだけ聞けば大変メルヘンな作風に思われますが、月が話す内容は幾分童話じみた猟奇的探偵小説。
その内容は、常に堅実な論理を得意とする鮎川哲也が作り出すものとは正反対の奇想天外なものばかり。
奇妙な因果で締めくくるオチの奇天烈さにいたっては、とたんに本作がメルヘンユーモア物であることを気づかせてくれます。
中心人物が生卵の丸のみをしていますが、私は生卵は苦手です。

誰の屍体か(探偵倶楽部1957年5月号)

犯人の一見不可解な行動に論理性を持たせたフーダニットの秀作。
推理小説において犯人がミスを犯すのは宿命的で、理由もなく無駄な行動をするのは望ましいことではありませんが、そうするべき理由とその理由が論理的であれば話は別!
さらに、その理由が"犯人が自己を容疑の嫌疑外に置くために仕掛けたもの"であれば、ここまで正当化された理由はないでしょう。
その理由をトリックや理屈に見出すことができるという構成が、本作で最も優れた部分だと思います。

他殺にしてくれ(探偵倶楽部1957年11月号)

「ベッドの未亡人」改題。

名無しの探偵が皮肉な一撃をくらわせる「鮎川流ハードボイルド」が体現した非常に稀有な作品。
密室殺人ですが、密室トリックはその場しのぎの流す程度に抑え、そのあとに展開が少しひねった用意されています。
流す程度の密室でも、機械的密室でなく心理錯覚による密室トリックを用いたところがいかにも作者らしい。

密室とアリバイという本格推理要素を、時間錯覚という同じ種類のトリックでどう料理するか。
本作の興味はここに尽きるのでないかと。

名無しの探偵といえば、三番街のバーテンの語り手もそうですが、執筆された時代やユーモア、だらしなさが足りない分、おそらく別人として書かれたものでしょう。
この名無しの探偵ですが、鮎川作品の主人公がとるべきではない尋常じゃない行動をとります。
このような行動をとったのは、本作と「死者を笞打て」の主人公鮎川哲也だけ。
悪食を避けておでんをついばむ探偵の後ろ姿に、これもまた鮎川流ハードボイルドを感じさせてくれます。

金魚の寝言(オール讀物1959年5月号)

例のあの日を題材にしたトリックが面白い。
本作で使われたトリックが当てはまるのはそれ以外にもありえると思いますが、12月に決めたところにこだわりを感じさせる。
必ずしもうまくいくとは限らないにもかかわらず、その弱点を補足する説明に説得力がある。
ここまで細部へのこだわりを感じさせる作品も珍しいのではないか。

暗い河(週刊サンケイ別冊1961年3月号)

実際に起こりうる現象を利用した自然科学トリック。
証人や立地についてかなり限定しなければならないきわどいトリックですが、その着想は非常に雄大で奇想すら感じさせます。
論理的な体系からなる解明が功を奏し、トリックを中心にした作風でありながら、安易なトリック小説とは異なる印象を受けます。

下り"はつかり"(小説中央公論1962年1月号)

鮎川作品は重厚で緻密な論理が特徴と聞いていましたが、当時は「白い密室」や「道化師の檻」しか読んでおらず、どちらかというと心理錯覚を利用したトリックが面白い作家という印象しかありませんでした。
そんなとき本作を読み、謎の解明の論理性にびっくら驚いて思わず読みながら正座した記憶があります。
正直、こりゃヤベェと思った。

そのあと長編に手を出し、本作を超える緻密な論理と重厚な謎の渦に巻き込まれ、ここまでアリバイ崩しが面白いものかと感じるようになってしまった。
本作の打ち出した論理構成の巧みさは、当時の私にとって衝撃的だったのです。

死が二人を別つまで(推理ストーリー1965年7号)

端役の登場人物まで合わせると長編に匹敵するのではと心配してしまう中編。
あとがきにて作者が述べている通り少しプロットが複雑で、刑事が人を渡りながら証言を集めていくという流れもその複雑さに拍車をかけています。
事件の概要は序盤に説明されますが、本格的に謎が定義されるのは全体の半ばを過ぎた頃。
鬼貫警部や丹那刑事の足を使った捜査をなぞらえたような作風が作者の長編作品を想起させます。

本作の見どころはなんといっても「展開の巧みさ」。
読者も謎解きに挑戦できるようなガッチガチの本格推理ではありませんが、調査の末に判明した疑惑を推理発展させた事実に、序盤で発生した殺人事件との結びつかせるストーリーが本当にうまい。
導入部分を読んであることに気づいた読者はなかなかに勘が鋭い。
そうです、作者はその部分を事件が起きてしまった元凶へと関連付けていたのです。

ちなみに私はその部分になんとなく気が付いていましたが、そういうこともある、というありきたりであいまいな理由からまったく重要視していませんでした。
自分が気が付いた部分に意味があったとことを知ったとき、本作にいつも以上の親しみと感慨の念を抱いたのも不思議ではありません。