本格の鬼 鮎川哲也

鮎川哲也は個人的に一番好きな作家です。
本格推理以外に見向きもしなかったというその生きざまもそうですが、練られたプロットと徹底した緻密な論理からなる作品の数々から作者のこだわりが感じられます。
その論理的な推理の数々は特に長編が顕著で、謎がどのようにして解かれていくかを丹念に描写した作風は非常に鮮やか。
謎解きの過程やアリバイ崩しといった要素は一見地味で退屈な印象が付きまといますが、鮎川作品にはそれらを感じさせない構成美があるようにも思えます。
ことに"黒いトランク"や"黒い白鳥"はロジック面が素晴らしい、また"りら荘事件"ほど考え抜かれた犯人当てはまずないでしょう。

というわけで、ここでは鮎川作品の長編の書評を掲載しています。
ネタばれはありませんが、その作品の内容を書くことができないため、何とも抽象的な書評と化していますのでご了承下さい。

短編集は以下から

ペトロフ事件(1950年)

デビュー長編。
タイトルの由来である「ポンスン事件」を先に読んでから読み始めた記憶があります。
といってもそれほど類似性があるわけでもなく、ましてや時刻表自体初めて見るものだったため大いに混乱しました。
トリックとしては今では吝嗇なものとなってしまいましたが、推理小説史上初めて時刻表をテキストに載せた偉大な作品として大いに楽しむことができました。

黒いトランク(1956年)

作者の出世作であり、書下ろし長篇探偵小説全集13番目の席に見事に座った作品。
のちのち「13」という数字が特別なものになった作品でもあります。
マッチ箱を移動させているうちにトリックが閃いたという有名な逸話がありますが、本作のどこにそれが登場したのでしょうか。
本作で扱われた事件は想像以上に複雑です。

初見ではあまりの難解さと意味不明さからたいして理解もせずに終わった作品でしたが、その後半年ほど寝かせ再読しました。
読んでいる最中はそのプロットについていくことだけで精一杯でしたが、読み終わってみると実にシンプルな構造であることがわかるところが素晴らしい。
まさに難解さと緻密さを持ち合わせた名作!
文句なしにNo.1です。

りら荘事件(1956~1957)

星影龍三を主人公とするいわゆる名探偵もの長編第一作。リラ荘殺人事件とも。
名探偵の存在(警察も介入している)、クローズドサークル、館物、連続殺人、犯人当てetc...という本格推理のお約束にお約束を重ねた作品。
ただ若干異なるのが、星影は事件とはまったく無関係であり、ましてや事件当事者でもないということ。
そのため、星影は終わり際になって登場して腕利きの名探偵として事件解決に(非協力的に)協力します。
前作二作品はどちらかというと現実味を帯びたリアリスティックな作風でしたが、近作は上記のとおりに非現実性の強い作風となっています。

本作で気になる点があるとすれば、やや人が死に過ぎるということ。
当然動機があるからこそ事件が起きるわけなのですが、そんなにバンバン動機を提示されても収集がつかなくなります。 「薔薇荘殺人事件」では短編ということもあり、警察介入のクローズドサークルで殺人事件が二つという、"警察が介入していても殺害動機の発生によりいたしかたない"殺人という構成となっていますが、本作ではやややりすぎに(個人的に)思います。
また、執筆当初の風習が関係しているのかはわかりませんが、被害者の葬式を事件当事者達がりら荘で行っているということです。
そこは"被害者の家族や肉親"が"自宅だったり葬祭会場"でするべきなのでは、と思わず首をかしげました。

しかし本作ほど「連続殺人」「犯人当て」に真正面に向き合った長編作品は存在しないのでは、というほどよく練られ考えられた作品であることは確かです。
今も昔も、推理小説において連続殺人は日常的というほど扱われおり、むしろ連続殺人が普通のようにも感じます。
どれもこれも連続殺人である中、本作が優れた作品として名を残しているのはそういうことでしょう。
巧みに読者を誘う罠、前提の錯誤、見るも鮮やかな論理の世界を見ることができます。

黒い白鳥(1959)

黒いトランクの再読により興奮が覚めないまま読み終えた作品。
黒いトランクがNo.1だとすると本作はNo.2。
列車の上に落ちた死体の状況を根拠に論理的な推理を持ち出す過程、2本に分裂するレールの構想、女中が握る矛盾した証拠品から導くアリバイ崩しetc...
鮎川哲也=重厚、緻密な論理の本格推理、という印象を明確に打ち出した作品です。
論理、展開、トリックともに無理のない作風に仕上がっています。

憎悪の化石(1959)

「黒い白鳥」に続いて読み上げた本作。
前作、前前作のような複雑な論理は本作では使用されず、わりとアイデアに頼った作風となっています。
また、解決に至るトリック解明も閃きに近い感覚が大半を占めており、偶然も味方していますが、ただ列車に乗るだけでアリバイが成立する作品はそうそうないでしょう。
時刻表トリックをただ乗り継いで撹乱させる、先に出た列車に追いつくものだけと思っていると、本作のトリックはコロンブスの卵のようなトリックに見えるかもしれません。

人それを情死と呼ぶ(1961)

当時社会社派推理小説が隆盛していた時代に執筆された作品。
そのことを意識してか、情死、賄賂事件が作中に絡んでおり、謎解き一辺倒であった鮎川作品に異質な風を吹かせました。
だからといってあくまで装飾的な意味だけであり、その本質は本格推理そのもの。
おそらく、作者自身が社会派推理小説のようなプロットに興味を持てなかったのでしょう。
金や女だけが殺人の動機ではあるまい、という大下宇陀児の言葉に共感していたそうですし、事件の事情や動機に社会性を持たせることはむしろ賛成だったそうです

本作も相変わらずのアリバイ崩しですが、まあよくここまで考えるなと感心する"時間の錯誤"を利用したトリックには圧巻の一言。
誰一人として偽造することなく、証人にアリバイを証言させる技巧は機械的なトリック創造よか困難なのではないでしょうか。
やはりアリバイ崩しには論理的でなければならないということを痛感した作品でした。

本作を読み始めるとタイトル「情死」が何を指しているかがわかりますが、読み終えることでまったく異なった「情死」を目の当たりにします。
タイトルが底を割ってそうという批判があったらしいのですが、意味を最後の最後まで悟らせない好タイトルに思えます。

砂の城(1963年)

「憎悪の化石」が日本探偵作家クラブ賞を受賞した際、その場で依頼を受けたという本作。
毎度のことながら本格推理を地で行くようなプロットで、ある意味「黒いトランク」以上に悩まされた作品でした。
一通りの道筋をつかんでしまうとなんともまあシンプルなアリバイトリックなのですが、一度頭から離れるとどうしようもなく理解不能に陥るという有様。
一応ペラペラとめくるまで細部の部分は忘却していました。

本作で発生する事件は、冒頭の鳥取砂丘から飛び出た足と京都で発生したホステス殺しです。
いままで複数の事件が扱った作品は他にもありますが、ことに前者のプロットが難解で理解に骨を折った記憶があります。
特に感銘を受けたのは後者のアリバイの構成で、様々な関係者の小さな証言から固められたアリバイを集積したデータから論理的に解いていく過程は見事の一言。
ある証拠品を可能な限り活用したトリックは実によく考えられております。

本作を補完する天城一「急行さんべ」と合わせて読むのが好ましい。

偽りの墳墓(1963年)

犯人が犯行計画を身内に打ち明けて幕が下りるという珍しい構成を取った作品。
本格推理はすべて読まないと事件構成を理解できないのが普通ですが、本作はその前章にて鬼貫警部が推理し検証した時点で犯人が取った行動のほとんどを理解することが仕組みとなっています。
言いかえれば最終章の犯人の説明がなくても事件を把握することができるということです。
しかし、そのためには最初から最終章前章までの内容をきちんと理解しておかなくてはならず、そういう意味で本作は鮎川長編作品で一番難しいかもしれません。

最終章前章にて、ある人物の証言が事件の前提をすべてひっくり返してしまうという構成美。
それに気づくことができるでしょうか。

死者を笞打て(1964年)

作者と同じ名前の人物が登場する作品はヴァン・ダイン、クイーンを筆頭に山ほどありますが、鮎川哲也も同様の趣向を用いており本作がその唯一の長編です。
盗作疑惑をかけられた推理作家鮎川哲也がその濡れ衣を晴らすため、作家や編集者を訪ね歩きながら真相に近づいていくというストーリー。
作中の鮎川哲也は「薔薇荘殺人事件」「悪魔はここに」等で登場した鮎川哲也と同じであるかは不明ですが、道化のように描写されているという点を考慮すればおそらく同一人物でしょう。
本格推理に対する風向きが強い等の愚痴が結構多く、戦前のマイナー作家も名前だけですが顔をのぞかせる等、割と作者の遊び心や思いなどが飛び出します。
また、関西の三作家である島久平・天城一・山沢晴雄に対する賞賛の美がいかにも作者らしい。

本作の見所は今までの作者のような本格推理の要素ではなく、作者の周辺の人物や出来事等を変名を交えて作中に投影しているというところでしょう。
土屋隆夫は淵屋隆夫として、権田萬治は萬田権治の変名で登場し、(おそらくは)作者の体験談を交えて進んでいくストーリーは珍妙奇妙でありながらどこかしら楽しい。
普段はハードボイルドに難色を示していた作者が、そのジャンル筆頭作家の大藪春彦ならぬ大"虻"春彦に事件のけりをつけさせたというところも面白く、そのあたりの事情に詳しければ本作はさらに面白おかしくなるものと思われます。
(大藪春彦は自身が執筆しているような作品よりも本格推理が好きだったという逸話があり、「憎悪の化石」が日本推理作家協会賞を受賞した際、ある編集者(うろ覚えですが)に食事に誘われ、大藪氏も同席したとのこと。そのような背景が本作にも影響を与えているのもかと思われる)

また、作中に陳舜臣なる"沈舜水"という人物が出てきますが、
「現在は推理小説ブームだが、鮎川哲也氏の作品が二十万部、三十万部売れなければブームということにはならない~」
という旨の発言をした、と書かれています。
モデルである陳舜臣が同様の発言を実際にしたからこその沈舜水のこのセリフだと思われますが、実際はどうだったのでしょうか。
作者自身、自分の作品が決して万人受けしないものであることは自覚していたらしいのですが、これは一種の「そうであってほしい」という願望であったのか。
それとも作者の自信の表れだったのか。

死のある風景(1965年)

「積木の塔」同様、決して長くはないはずなのに読みごたえを感じさせる本作。
異なる事件を一つにまとめあげる構成が面白く、読み進めるごとに興が乗ってきます。 相変わらずの鉄道アリバイものですが、手掛かりと推理が違和感なく繋がれるプロットに抜かりなく、本格推理を楽しむことができます。

犯行時刻の断定の裏をかいた巧みなアリバイトリックが素晴らしく、「偽りの墳墓」と異なり証言からは見抜くことができない仕組みですが、作中にきちんと伏線を残すという用意周到さが作者らしい。
鬼貫警部の出番は終盤の部分だけですが、調査報告書を読みながら単独で推理を重ねてく姿は印象深い。
作中の電報のからくりはおそらく実際に行われたものなのでしょう。
「憎悪の化石」同様、実際に行われたことを利用したトリックや推理の手がかりは、本格推理というやや非現実な世界観に現実味を出させる数少ない手段かもしれません。

宛先不明(1965年)

「準急ながら」に比肩しうるちょうどよいボリュームで内容もわかりやすい。
郵便物を通じてアリバイが立証されるという珍しい構成で、トリック面を切り出しても独創的で面白い。
謎が解かれていく過程も段取り丁寧な描写がされており、産業推理小説というテーマに沿った作品となっています。

準急ながら(1966年)

長編にしてはボリュームは控えめの本作。
その割には事件背景がきっちりと描写され、調査するにつれ明らかになる新事実が準急列車"ながら"を発端に成立したアリバイの検討へと流れ込みます。
トリック自体はまさに逆の発想ともいうべきものであり、からくりに気づけばシンプルなものですが、そこに気づくまでの推理の過程が(いつものとこながら)理屈に合っており不自然さを感じさせません。
それはおそらく、推理の過程という推理小説で重視するべき要素を突き詰めた結果なのでしょう。

積木の塔(1966年)

長編として決して分厚いわけではないけれども、かなりの読みごたえがある作品。
犯人のすることなすこときっちり意味合いを持たせるという本格推理の基本を押さえたところが好印象。
電話から聞こえた一つの手がかりから未知の出来事を推理するその過程と論理性は見事の一言。
アリバイを崩すためのある証拠品の扱い方が素晴らしく、思わずうなることになりました。

ただ、随筆の手がかりはやや都合の良さが否めない。
といっても犯人が"あれ"をした証拠を、理屈が通り不自然がないように証明することは難しいか・・・。

鍵孔のない扉(1969年)

「戌神はなにを見たか」に匹敵する長編。
「砂の城」で使用されたトリックのアレンジ構成が面白く、からくりの緻密性と論理性が素晴らしい。
本作はその長さから推理やトリック以外のストーリーにも起伏が見られ、犯人と思われた男のアリバイを証言した男を尋ねた警察官のイヤミには思わず苦笑。
時折見せる品のあるユーモアも楽しい作品でした。

風の証言(1971年)

ある証拠品が"証言"する絶対的なアリバイをいかにして崩すかを扱った本作。
証人と違い証拠品は虚言はしないため、純粋に論理と理屈のみを追求している作品に思えます。
また、鬼貫警部の部下の丹那刑事がある重大な発見をして珍しく大手柄しているところもほほえましいところ。
「風の証言」というタイトルがぴったりなプロットで、その意味も非常に論理的。
長編作品として、またはタイトルの回収のうまさとしても他の作品に類を見ない名作でした。

戌神はなにを見たか(1976年)

結構分厚い本作。
大庭武年、大阪圭吉、西尾正といったマニアックな戦前作家の名がわずかながら登場し、舞台を江戸川乱歩出世の地である三重県名張にしたところがいかにも作者らしい。
また、雑誌「幻影城」にて幻の作家を訪ねる企画も担当していたため、そのことが本作を執筆する動機になったのかもしれません。(もしくはその逆か)

様々な人物の視点からストーリーが構成されていくという趣向は鮎川作品では割と定番で、本作もその例に従っているのですが、本作に関してその部分がやや複雑でわかりにくかったように記憶しています。
さらに500ページを超えるボリュームとその読み応えに、一読だけではその場その場を読み取るだけで精一杯でした。
一週間ほどして軽く読みなおすことで細部まで組み立てられたプロットに触れることができ、トリックは非常に地味な部類ですが、真相の解明にたどりつくまでの重厚で緻密な論理に圧倒されたことを覚えています。

本作からは本格推理を書き続けた作者らしい苦悩のようなものがにじみ出ており、登場人物の口を借りて、倒叙作品で自然現象を理由に犯行が発覚するような作品は三流だ、という持論を展開しています。
確かに、鮎川作品の倒叙ものの中に自然現象を利用したものはなかったような気がするのですが、偶然が作用したケースはいくつかあったような気がする
別の本のあとがきにも、偶然から犯行がばれてしまう倒叙ものは論理的にいただけない、といいながらも、自分がそれを確実に実践できるかというとそれも難しいと述べており、多くの倒叙作品を創作してきた作者もそれなりの苦労があったそうです。

本作では二重のアリバイトリックと、ある大作家が得意としたといわれているあるトリックの"アレンジ"が使われています。
どちらのトリックもプロットに有機的に結びついたものとなっており、一つの大きなトリックということができそうです。
様々な伏線を作中にばらまき、読者のミスリードを狙うのは本格推理の基本ですが、本作は見事なまでに成功しているといえます。
鬼貫も終盤に至るまでミスリードに惑わされ続け、犯人と思われる人物の壁のようなアリバイに苦しめられますが、ある発想からアリバイの根底が崩れた時、意外とシンプルなトリックの構造とその奥行きに作者が500ページ近くまで費やした理由がわかるでしょう。
ミスディレクションの手法がよく考えられており、まさに圧巻の一言です。

朱の絶筆(1976年)

星影龍三最後の事件。
あっちこっちから嫌われた売れっ子小説家が広大な自宅で殺害され、そこに居合わせた数人の男女が疑われるも、さらに殺人は続き連続殺人に発展してしまう。
推理を重ねて少しずつ真相に近づく鬼貫ものもいいけど、りら荘や本作のような名探偵ものも捨てがたい。

ことに感心したのが、最初の事件のアリバイトリック。
また、そこから新たに発生することになってしまう理由(動機)もなかなか理にかなっている。
本格推理は動機面や現実性に欠けるといわれていますが、本作(も含め鮎川作品全般)はそっちの部分にも結構考えられています。
渦中の作家の殺人事件だけで事件が終わるのが普通ですが、本作は犯人当ての名探偵もの。
そこからなぜ連続殺人へと発展するか、という難題をなんなくクリアしている作者の手腕は相変わらず見事です。

反面、第二の事件の犯人のごまかしと第四の事件の殺害方法が釈然とせず、その部分を星影龍三が指摘することができるという点にやや納得がいかない。
りら荘のときもそうでしたが、「名探偵もの」というのは本格推理の中でも飛びぬけて難しいジャンルなのかもしれません。

王を探せ(1979年)

犯人の名前は早い段階で判明しているも、どこのだれであるかは後半まで隠されているという変わった作風の本作。
最初から犯人視点で描かれる倒叙形式と異なり、半倒叙といったところでしょうか。
長編の倒叙作品といえば例の三大倒叙がありますが、多くの短編倒叙を手がけた作者のあたらしい挑戦にも感じられます。

一度肯定されたアリバイが再度別の証拠品から再検討されるという熱い(?)展開。
気取らない文体と長編でありながらあっさりと読むことができる本作は、本格推理好きでありながら読むのが遅い私の好みに合った作品でした。
ほとんどがアリバイの確認に費やされるのはいつものことですが、その丹念さや丁寧さもいつものこと。
相変わらず秀作であるのもいつものことのようです。

しかしながら、他の鮎川作品に比べ重厚緻密な論理展開が薄い印象を受け、あっさりとした作風になっているところがやや気がかり。
倒叙物は、読者が犯人の置かれている状況を(警察より先に)知ることができるという特徴がありますが、それがかえって、警察側のとんとん拍子の推理に納得できないという印象を受けました。
その部分のみに関しては、推理過程をどこか他人事のように思えたのは鮎川作品の長編の中で初めてのような気がします。

だからといって、推理過程や重厚緻密な論理展開が期待できないということではなく、ことに写真により肯定されたアリバイの検証の過程がすさまじく、ただ単にすごいの一言。
列車には詳しくないと豪語(?)する作者ですが、ここまで考えることができるということは、もはや嘘を付いているようにしか思えません。(笑)